2009年11月30日

ロザリータ アーカイブス12




又すぐに今まで通りに朝歩きを再開した
すると今度はいきなりに腰の痺れがきた
腰から下の感覚がなくなったりする
みたび今度は専門医にかかると悪いヘルニアの一種だそうだ
MRYで見れば軟骨がぐしゃっとつぶれ神経を圧迫している
ゴムホースが圧縮され先から水が出なくなるようなものらしい

このままでは車椅子ですよ

そう医者に宣告された時はさすがにショックだった
シップでも貼っておけばすぐにでも直るとたがをくぐっていた
そもそも健康のつもりで始めたのが身体をいやというほどに苛め抜いていたのだ
大層な手術をしても直るのは5分5分でそれ以外には何の手立てもないらしい

それなら自分で腰痛体操でもしますとそこを後にした
ほんの5メートルほど進んでは蹲りヒイコラしながら自宅まで帰ってきた
もうウォ-キングどころの騒ぎではなくなった
少し前までたったと歩いていたのがウソのようだ


騙し騙しに仕事をする
暇だから丁度いいかと哂うしかない
成人病や身障者という言葉が一気に我が身に迫る思いだ
今まではかなり色々と無茶をしてきたが無事で何事もなかったのは
ただラッキーだっただけでどうなっていてもおかしくないのが思い知らされた

しかし、その頃に反対に開き直りが出来た
もし店が余りにうまくいかなくなれば違う肉体労働の仕事でもやるかと
うすうすに考えていたのがその道は遮断された
もう、こんなになってしまっては他の仕事はあり得ない
これからはここでこの店で何としてでもやり抜くしかない

そう腹をくくった時期だった



そんな時何年もほぼ毎日通ってくれている少し年長の常連客に
ついそれまでの経過を酒の肴の話題にした

「それならマスター店の名前をかいたタスキをかけ
車椅子に乗ってこの辺を廻ったらどうだ
昔のこの辺にいた大勢いた手足がない帰還兵のように・・
ここの前で
 
「ぼくはこんな体になりました どうか店に入ってください」 とな」

我が目を疑うとはあるが我が耳を疑うとはこの事だ
少なくとも長年、信頼をしていたお客だった
その口から今の自分の状態を見てこんな言葉が出るとは・・

その時は笑い飛ばすほどの余裕など微塵もなかった
悔しくて情けない、その次に来るのは普通は悲しみだが怒りがきた
今までにない心底からの深い怒りだった
自分の中でボッと着火された気がする
それをなんとか悟られぬよう必死で堪えポーカーフェイスを保つ

今、こいつを殺してやろうか いっそ素手で・・

殺意とはこの事なのか 生まれて初めての経験だった
なぜか冷静に相手の顔をゆっくりと見る
それにまったく気づかずに赤い顔をして水割りのグラスを口に運んでいる
すぐ横に顔見知りの常連客がいて心配げな顔で
固唾を呑んでこちらを見ていた
瞬時に冷静に戻った
それからは何事もなかったかの如くにやり過ごせた

あの時はいい勉強にも教訓にもなった
今もその時に居合わせたお客には感謝している

気がつけば厄年になっていた・・ピカボス
  


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2009年11月29日

ロザリータ アーカイブス11

そろそろ後2・3年で店も10周年を迎える頃だった
朝のウォーキングが習慣になった
丑三つ時の2時に寝て8時に目を覚ますとすぐにヤッケを着て歩きに出かける
2時間ほどみっちりと歩いた後シャーワーを浴び朝食をとり店の支度をする
そのサイクルが実に心地よくはまった
歳が40前でもあり若さへの渇望だったのかもしれない

『このまま老いぼれてたまるか』と

最初の2・3年はよかった
そのまま大人しく続けておけばよかったのだが・・

もともと何かに熱中するともっともっととエスカレートし拍車がかかる性格
ウォークマンをつけ手足に錘を付け出した
それでもまだ飽き足らずにナップサック入れた10キロのダンベルを背負い歩き出す
この際とことんやってやろうか
それで雨の日も風の日も休まず毎朝ヤッケを着て歩き続けた

来年あたりに熊野の奥がけ苦行でも参加してやるか
そう考えていた矢先ほぼ、朝歩きを始めて5年目過ぎた頃
何気に目の上が痒くなり小さなデキモノが出来た
虫にでも刺されたのかとほぉっておくとみるみるに大きくなった
まぶたの上に垂れて鏡でみるとお岩さんのようになった
これはやばいと病院で診てもらうとヘルペスだそうだ
体が相当に消耗しているらしい
しかし、自分ではまったく自覚がない

薬を飲むとあっさりと直った
サングラスをかけて店を開けた
再びに再開すると今度は膝がばんばんに腫れて曲がらなくなった
再びに医者に診てもらうと今度は痛風らしい
今までの無茶が祟ったのとやはり疲れだそうだ
膝の水を抜き薬を飲むとすぐに治まった

全然何て事はないじゃないか・・ピカボス  


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2009年11月28日

ロザリータ アーカイブス10


歳が30代半ばから後半にかけてはある意味人生のクライマックスかもしれない
あの頃は確かに若さも勢いも有り余っていた
しかし、それに反して世間の不景気の風はますばかりだった

いくつモノ映画館の閉鎖
百貨店の倒産
歯抜けのシャッター通りになった商店街
建てたのはいいが入り手のない空きテナントビル
取り壊したのはいいが使い道の目どがたたなく
仕方なしにだだっ広く放置された露天駐車場
助成金を使ったはいいが結局開けては閉めの素人商売

楽しげな話も人間も段々にいなくなる
客足も減り出る話題はといえば
これからどうなるの?
と不安げな事ばかり
こんな事もいつまでも続くまい
泣き言ばかりをこぼしていても仕方がないとばかりに
今のうちに店の内容の充実を精一杯に図るが
一度離れたお客達はもう2度とは戻っては来なかった
不仲になった男女のように・・

かつての賑わいは不景気という魔物の大きな爪で剥がされた

持て余す心身の持って行き場
やり場のない思いのぶつけドコロを無意識に探し求めた
毎晩、店がはねてからバーボンをラッパ飲みしダンベルを振り回したり
寝付けぬ朝を迎え早くから起きてバイクを引っ張り出し
4時間ほどのツーリングに出てから
店を開けたりとデカダンな日々・・

飲酒検問までも厳しさに拍車をかけた
判りきった事だが軽くひっかけて
車で帰るお客がすべてなくなった
たとえ飲むと言ってくれてもそうですかとは言えない
こんな交通機関のほとんど無いところでは酔客はオットセイ状態になる
酒と車がセットのロマンチックなドラマはもうあり得ない
飲んだ勢いで口説いた挙句に代行でもないだろう

一体どうなってしまうのか もう辞めろという事か
やめるならやめろとそうハッキリ言ってくれ!

激減してしまったがそれでも慕って通ってくれている馴染み客達に
励まされ開店から10年目を迎えようとしていた・・ピカボス
  


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2009年11月27日

ロザリータ アーカイブス9




最後にローマに訪れてからは精神的にも大分に安定した

『もうこれからはイタリアに拘らずに自分がいいと思ったようにやりなさい』

そう永遠の都に告げられた気がした
それならばと色々と試みた

それまではバーボン一色に絞ってきたが色んな洋酒に関わった
付き合いのあった酒屋さんにも色々と協力してもらい
改めて色んな酒を研究し店に並べた

シングルモルトウイスキー
コニャックにアルマニャック
マールにグラッパ
シャンパンにフルーツワイン
カルバドスにキルッシュ アクアビット
ヨーロッパの地ビール
マディラーワインにシェリーにポルト
色んなリキュール
アブサンにパスティス
もちろんスピリッツ系も一通りに・・

そんな時期が何年も続いた
結果はドウあれ納得がいった
自分がピンと来ないものは説得力がないのと
田舎では早すぎたのが結論だった
ブームになったからと言ってハイではどうぞと言えるほど
自分が器用でもないのに今更気がついた

結局はどれも身にならなかったとでも言おうか

しかし改めて考えるとローマのバーでは酒の酒類がごく僅かだ
日本のバーに比べると驚くほどにない
なぜだろう?

今更に気がついた
そんなにも必要がないのだ
世界各国の人間が集結する大きなホテルのバーでもあるまいし
普通の規模の街ではほとんど無駄なのだ

バック棚にずらりとボトルが並ぶのは見栄えもいいし
バーテンダーにとっても気持ちがいい
しかし、バーの目玉は店の空気でありサービスマンのサービス
街角の安売りの薬局でもあるまいし溢れる在庫の数を誇っても仕方がない

洋酒の量り売りやボトルの数種類自慢は小売りの酒屋に任せることにした
バーテンダーの本当の仕事は別なところにあるのに気がついた・・ピカボス

  


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2009年11月26日

ロザリータ アーカイブス8




しばらくすると無国籍や創作料理の店がやたらに出来始める
自分は知らなかったが巷ではブームになってるらしい

なるほど、フランス料理人が日本料理とのいいコラボ
中華の経験者が他の国のアレンジにと
それはさぞかしに面白いものがと・・

そう思っていると訊けば全然に違うらしい
全部ではないだろうが居酒屋のバイト上がりが面白がって
やってるのがほとんどらしい
土壌が違うのでドウでもいいが飲食業も色んな意味での
レベルが落ちてきた実感があった

客も客なら店も店か

それからしばらくし素人さんが見よう見真似で始めた店が
段々に増えてきた頃からお客の質までがやたらに落ちてきた
夜のいい時間にいい大人達が団体で訪れ珈琲かビールを
一杯だけ注文し、延々と大声でドンちゃん騒ぎをする
個人で来た時は借りてきた猫のようだが大勢だと人が変わる
かつての酒場ではわがままや粗相を多少はしても
その申し訳というか店に迷惑をかけてすまんと言う意味で
酒代を多少多い目に置いて帰ったものだ
それがもういい年の大人たちが何時間もやりたい放題の挙句に
お茶代だけを払っていく
酒場のルールもへったくれもあったモンじゃない

したいようにすればいいと自虐的になっていたが
ある時に居合わせた普通に飲みに来てくれるお客さんから
「あれはいくらなんでもあんまりじゃないの!」
の声に我に返ってその客全員を叩き出した事がある


そんな折に商売の先輩と話す機会があり
それらの事など色んな事をごちた

「マスターだから商売は面白いんじゃないか
何もプロのいい店ばかりが流行り評価される訳ではないよ
何であんな店が・・?
そんな店が思いがけずに評価され流行ったりのも世間なんだ

だからこそ面白いしみんな俺もやってみようかという気にもなるんだよ

アマのオリンピックじゃないんだ だからそれでいいんだよ
そりゃ、なかにはおかしな客もいる
でも、ほとんどはかけがえのないお客さんばかりだろ

これからは素人さんも玄人さんもない」

目からうろこだった・・ピカボス  


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2009年11月25日

ロザリータ アーカイブス7


その歳が明けるとすぐにローマにとんだ
もう一度、
そしてこれが最後になるだろう
ロザリータにとってのルーツであり故郷の地
再びにそこに触れ問いかける必要を感じた

これからの方向性を見出すにはそこ以外にはなかった

ビィアべネトのエクセルシオールのピアノバーは老貴婦人なデカダンスの魅力
コンドッティのグレコは観光客相手に相変わらずにせわしい
ピアッツァナボーナのタバッツァオーロは地元客で賑わう
トラステベレのバールはいつも通りに活気あふれる

どこも改めての懐かしさと新鮮さが入り混じる

この街にインスパイアされ
その夢を形にし
そして傷ついた

再びにそこに帰ると何も変わらなく温かく迎えてくれた
かつての狂乱の様な喧騒は時代とともに影を落としていたが
モローの絵画のような怪しい光はなんら変わらず相変わらずだった

冷静に比較すればあまりにも違う
自動販売機もスターバックス、ファミレスもない
珈琲とは誰もがバールで過ごすものと当たり前の習慣になっている国
しかし、その空気感を味わってもらう自分の感覚は外してはいなかった

スペイン階段の頂上にあるホテルの一室のテレビで
阪神淡路大震災のニュースが報道されていた
来るもの拒まず・・
去るもの追わず
イクトキイットケ

肩の力が取れ再びに力が湧いてきた
自分の部屋に帰り長旅に使い込んだスーツケースを開けながら
久しぶり日本でテレビをつけるとオーム真理教の
地下鉄サリン事件の第一報を告げていた・・ピカボス


  


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2009年11月24日

ロザリータ アーカイブス6

頭を冷やした後冷静になり今までの経過を振り返ってみる

考えてみればそれまでは自分の店のクオリティの事だけを考え
追求し自画自賛していたアマチャン根性を思い知った
自分が納得したいい店を打ち出したところで肝心なお客さんがあっての事だ 
いい店をと追求したところで誰も来なくては話にならない
自分が目指す店の像とお客さん達が望む店の像の違いを考えた事がなかった

一般にいういい店とはダブルスタンダード
ひとつは一切をドライに客観視し本当にレベルの高い店
もうひとつは地元のセールスリーダーやマスコミがいい店と評価した店
実のところはそのリーダーやマスコミ関係者とそりのいい店
ただ、それだけの話
他に影響力のないところでいくら評価されてもイヌのクソにもならない


「いい雰囲気の店ですね・・
又是非にみんなで寄せてもらいます」

などと言いいつつ2度と来ない客を守るために
多くの酔客を追い出してきた

誰が悪いわけでもなにがおかしい訳でもない
自分のマイブームが過ぎ去ればそれまでの事
ブームとはそんなものなのだ
後は値段が安いか目新しいか自分が楽で特別に扱ってくれるか

距離感を保ちつつも良い緊張を楽しめ古いものを
頑なに守り続ける欧州人とは根本的に違う


自分の甘さ加減に恐れ入る
自分が納得できる本当にいいものを打ち出せばお客達は
必ずについて来てくれるはずだと信じきっていた

開店数年目にしてただの社交辞令に気がついた
だからと言ってどうする手立てもない
ホステスのように電話で催促するか
付き合いでゴルフや飲み屋で接待するか
商売目的でカモを見つけもみ手で媚を売るか

どっちにしても店としての内容も含めて
色んな意味での棚卸の時期だった・・ピカボス

  


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2009年11月22日

ロザリータ アーカイブス5


色んな国の人達が入り乱れて連日連夜の日々
外人だけではなく他県からの人達も多かった
地元のイベントコンパニオンさんもよく遊んだものだ

しかし、いい事ばかりが続くものではない
そのイベントが終了すると潮が引いたようにさっと誰もいなくなった
あれほど夏の間、賑わっていたのがうそのようだ
真夏の夜の宴が醒めればただの薄汚い古ぼけた地方都市
楽しげなよそ者達がみんな帰ってしまい残っているのは
遊び方の知らない冷静でネクラな地元民達だけ

お遊び、お祭り騒ぎはもう終わったんだと・・

段々にバブルの弾けがいよいよとこの地にもリアルになる
お客の数もめっきりと減ってしまった
常連客もいつの間にか来なくなった
なぜか来なくなる時はみんな一斉だ
お客さん達にも色々と事情もあるのだろうからと
気にしないようにしていた

ある時に久しぶりに訪れたかつての常連客が話しだした

「この頃は今度新しくできた・・・に行くんですよ、安いし
又違う・・・に行けばロックアイスを丸く削ってくれるし

みんなそこに行くみたいですよ 
僕も今は週に何回は・・・に行っています・・」

こちらのまったく知らぬ間に新しいバーやカフェが出来ていた
そして自分の常連だった人達は無言で昨日、今日出来たその店へと流れていた
ここで外人達と馬鹿騒ぎをしてる間に知らぬ間に新しい店へと離れていたのだ

そんな事にまったく気づきもしなかった自分も情けなく
常連客達のあまりの節操のなさにも呆れ果て
かつてはこの店で色々と付き合ってきた自分に
そんな話をへらへらと臆面もなく出来る
目の前のお客の感性に唖然とし
そんな話を笑顔でふむふむと訊いている自分が
すごく大馬鹿に思えた

この商売の本当の厳しさ、はかなさ、恐ろしさ、空しさを
開店何年目めにして初めて思い知らされた

お客とは来たい時に来て黙って来なくなるものだ
こちらの努力など一切関係がない
その時々の気分でどうにでも変わるもの
何処に行こうが自由
心の絆や義理人情など期待すべくもない

『去るもの追わず繰るもの拒まず』
の本当の意味を知る


「今日もこれからみんなでそこで待ち合わせしてます
では行ってきます」

いそいそとドアを出て行くそのお客を見送った後
誰もいなくなったカウンターで一人自問自答した・・ピカボス



  


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2009年11月21日

ロザリータ アーカイブス4



そんなドタバタの一年が過ぎ翌年には
お客達を連れてイタリア旅行を敢行する
その時の事はここではふれない
ただ、もう一度バー経営者の視点で
イタリアのバールを再確認しておきたかった

感想はオッケイだった
自分で言うのもなんだがロザリータをそのままローマの街角に
持ってきても何の遜色もないし目劣りもないだろう
ごく自然に風景に溶け込める

しかし店とは敏感な生き物
経営次第ですぐにでもガラクタに変貌する
自信と新たな決意を内に秘めて帰国した

それからも相変わらずの日々だった
当初からの常連客も何度も入れ替わった
このままずっと永久に来店するのかと思われたお客が
あっさりと来なくなり又新たなお客が訪れるという繰り返し


そうこうしているとバブルがはじけ世間の様相が変わってきた
心なしか羽振りのいい人達の姿もめっきりと減った
段々に楽しげな話題もなくなりリアルな話題が多くなる
しかし繁華街という立地からまだまだ華やかな人達が出入りしてくれる

そんな折に和歌山市で世界リゾート博というイベントが催される
1994年7月~9月

前評判では必ずに失敗するだろう
金をかけて全国に赤っ恥をかくのか
来る客来る客誰もが同じ事を言っていた

ふたを開けると大成功だった
連日予想外の人出
考えてみれば和歌山市が初めて浮上できた日々だったかも知れない

ロザリータも連日大賑わいだった
毎晩に近くのホテルからの外人客が来る
夕方から深夜まで地元客とよそからの客でずっと満席が続く
冷蔵庫に入るだけ入れ冷やしたビールが連日空っぽになる
閉店時間になってもまだアメリカ人達が集まって来るので
ハイネケンのビンを手渡しこれでどっかで飲んでこいと追い返したものだ

後にも先にも死んだようなこの街であんなにテンションの高かった日々はない・・ピカボス


  


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2009年11月20日

ロザリータ アーカイブス3

急に店のやり方を大きくは変えられない
しかし自分の生活パターンは早急に変更した
それまではまともにくつろいだ事がなかった
食事も階段でそそくさと済ませていた
一日に一回はゆっくりと食事をする時間を無理にでも
設けなければ人間おかしくなる
体調が復活すればいい発想も生まれる

どんどんとお客さんは増えていった
当時の新しい物好きが一度は来店したろう
しかしこちらの当初の理想からはどんどんと離れていく
カフェとバーの両立だがカフェの方が置いてきぼりになる
予測は立っていたのだがどうしても無理がある

ここはイタリアではなくて日本の和歌山なのだから・・
まだ日本には馴染みのなかったパニーニなども
いくつか用意したがマクドナルドをみてやめた
結局はフードのメニューはほとんど切り捨てた

お酒は自分がバーボン好きなので目新しいのを
みつけるとすぐに仕入れた

一杯になってバック棚に収まりきれずその上にまで並べ立てた
イタリアワインのキャンティ用にわざわざに作り付けの棚を
大工さんにつくってもらったがその当時地方都市では
バーでハードリカーではなくワインという発想はまだなくて
いくら打ち出しても理解を得られない
ベニスのバカリでの感覚を意識したがそうはならない
ワインはレストランだけで飲むものらしい
バーボンも勧めてみてもその時バッタでお客さんの方はそれほどにこだわりもない
考えてみればほとんど自分で自爆した

結局何かといえば “水割り “ビールのえんえんと繰り返し
カクテルもフレッシュグレープフルーツにサザンカンフォートと合わせると
女性客からは気持ち悪いと言われる始末だ

そうこうしていると常連客からは飲みに誘われる
いつも集まってくれる人達を集めてスナックを借り切って飲み会をした事がある
その日だけは店を離れて徹底的に付き合ってやろうと・・
しかしその夜に救急車を2日も呼ぶ羽目になるとは

お客達と当時のマハラジャにも付き合った
ベンツやフェラーリなどの外車なら店の前の駐車場 
国産なら裏にまわり駐車料金を払う
ビップルームでいつも来てくれる女の子がお立ち台で
踊っているのを眠い目を擦りながら眺めた

こんな事をする為にロザリータを始めた訳ではないと想いながら・・ピカボス
  


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2009年11月19日

ロザリータ アーカイブス2

確かに21年前の周りの風景は現在と大分に違っていた
今ではとっくにつぶれてしまった丸正百貨店の旧館をこれから取り壊し
新館を新たに建つところだったし前の本町通りも地下ケーブルとか何とかの
掘っては埋めての工事で辺り一帯がさながら工事現場一色
そこいらじゅうにユンボやスコップ、ツルハシ、ヘルメットが散乱する
それが開店時の店内からの風景だった

親兄弟や知り合い友人の類には極力連絡しなかった
もともとの顔見知りには頼らずに白紙の状態で商売を始めたかった
今振り返れば青臭い
それまで社会に出てからは何をやってもパッとせず自分の身の置き所がなかった
それがようやく自分自身を試す勝負の時期を感じた
今やらなければいつやれる
男が何かに真剣に打ち込める時期
それが長い人生のうちでそう巡り合えるものではない
それは今でも想うこと
ようやく、たすきを手渡され富士山の山頂を全力疾走で登る思いだった

さほど宣伝もしなかったのに昼も夜もお客さんたちは来てくれた
昼休みのOL,サラリーマン
夜は商売人を中心とした人達
慌しい日々がしばらく続きふと気がつくと自分の体調の変化に気がついた
やたらに痩せた気がする
以前にプロテインなど飲んでジムなどで鍛えた事もあり
それまで体重が80キロ近くあった
何度かダイエットめいたことをした事があるがさほど効果はなかった
それが久しぶりに体重計に乗り我が目を疑った
56キロ、2ヶ月やそこらで24キロも落ちたのだ
道理で頭はやたら冴えるのだが目まいが頻繁にする
ズボンも合わなくなりサスペンダーをそれぞれにつけた
これではいかん!

3ヶ月経過した時点で軌道修正が店も自分自身も必要なのを実感した・・ピカボス

  


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2009年11月18日

ロザリータ アーカイブス1

ロザリータ開店当日

店をはじめる前に妻と当分は旅行もないだろうと
北海道に一ヶ月間視察旅行に出かけた

その当時にあまりにも自分自身がイタリアナイズされ過ぎ
理想と現実とが見失いそうだったからだ
ここはローマでもフィレンツェでもベネチィアでもなくて
日本の地方都市、ベタな和歌山の本町商店街のぶらくり丁
現実の飲食業を都会も田舎も備えた北海道の中で見て回ってきた

その結果はハッキリ言ってなんてなかった
何処を見ても想像の枠を超えるものにはお目にかからなかった
ただ、ゆっくりと自分自身の充電には役立っただけだ

帰ってからはさっそくに業者に依頼
徹底的にディスカッションを重ねた
結果的に内装も申し分のない仕上げをしてくれた

しかし何処の店もそうなるのだろうが工事の後半のバタバタにはかなわなかった
余裕を持って予定を立てているのにも拘わらずに土壇場で
間に合わないと泣きを入れられる
こっちは11月中にはとっくに完成し3日ほど掃除だのディスプレイだロープレだのと
予行練習し12月1日がきりもよくと計画していたのがどうしても無理だと言う
案内状の手配もある
結局はオープン12月10日と信じられない結果になった
それでも掃除を完璧にすませグラス磨きでもじっくりとのはずが当日まで
出来上がるかどうかも判らない有様ときた

ほとんどぶち切れる寸前にまでなった
業者と喧嘩してどうなるものでもなく、腹に収めた
田舎のなーなーのチンタラ仕事の恐ろしさを否が応でも十分に理解させられた

開店前日には回りの商店には手土産を持って挨拶に回った
明日オープンの予定なんですがよろしくと・・
それでも本当に開けられるか不安で仕方がない
案の定当日になってマッチ屋が間に合わないと言ってきた
何度も何度も念を押しておいたのに・・
しかも
「珈琲&バーボン ロリータでよかったですよね?」
ときた
「ロザリータ じゃあああああ!!!  ロリータはお前じゃあ!!」
電話で叫んでやった

当日はピシッとシャツとタイとベストで決めるつもりがまだ新聞紙に包まったままの
食器を持ってきたての家具に治めなければならず
そんなもろもろの作業の為セーターにジャージのズボンのままだった

頃合いを見て着換えるつもりだったがとてもそんな時間がない
もうすぐ開店時間だというのに何もかもが不完全なままだ
粗品の用意はしなかったがその日に来てくれたお客さんには
何を飲んでも食べても無料にするサービスをした

そうこうしていると花屋がパチンコ屋のようなド派手な花輪を持ってくる
「うちはパチンコ屋じゃないんだから生花にしてくれい!」
などとやってるとマスクを被ったおばちゃんがパーマ屋と間違って
入り口でつまずいてこけそうになりながら店内に入ってくる

「あれ!ここは何?」
「いらっしゃいませ」

それがお客さん第一号であってロザリータの幕は下ろされた・・ピカボス  


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2009年11月16日

ロザリータ アーカイブス



それも大きな事に限ってツーといえばカーとこない
少し時間が経ってから
「そうなの!」と一人で驚く始末である
だからオープン20周年だった去年は白け淡々としていた
何も感慨深いものがなくセレモニーめいたイベントもしなかった
それが21年めの今年になり初めて実感が湧いてきた

とうとうに20年も過ぎたのか!
かと言っていちいちにセレモニーなどの華やかな予定はガラではない
ただ独りで噛み締めるだけの事だ

昨夜珍しく考え事をして眠りについた
あれはいつ頃だったろうと・・

そうか、もう15年ほども以前になるのか
あの頃は今とは時節が違っていた
あたし自身も若かったのは確かだ
10年一昔とはよく言うがそれはある

まず環境が違っていた
バブルはすでにはじけていたがまだこの辺りも繁華街としての面目は保っていた

百貨店2店
ビブレ
映画館4館

今では跡形もなくなった大型商業施設がまだ辛うじて存在していた
お客達もほとんどがその関係者達だった
まだ飲酒検問も今ほどにうるさくなかった頃だ
夕方になるとほとんどのお客さん達は
当たり前のように酒を飲んで車で帰った

個性豊かな商売人たち
派手な百貨店の女性店員
遊び好きなOL

携帯もパソコンもコンビニもまだなかったが
店内ではみんな打てば響きあった

あの頃の人たちは一体何処に消えたのだろう?・・ピカボス

  


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